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カナダのご紹介|トロント(カナダ)
ヨーロッパからの入植が見られる以前からトロント周辺地域には紀元前1500年前にイロコワの部族から土地を占領した先住民ヒューロン族が定住していた。アメリカ独立戦争の際、英国王党派の流入が多く見られ、未入植の地であったオンタリオ湖岸の北部への入植が進んだ。1787年、イギリスはオンタリオ湖北部の土地を所有するミシサガ族と交渉し、わずかな資金で購入することに成功した。1793年、アッパーカナダ初代副総督であったジョン・グレイブス・シムコー(John Graves Simcoe)によってすでにあった入植地の上に町が設立され、ヨーク・オールバニ公の名から町名をヨークと名づけられた。1834年3月6日、人口わずか9,000人であったがヨークの町は市制となり、名称を「トロント」へ改称した。以後19世紀の終わりにかけて、トロントはカナダの代表的な移民先となり、急速に発展を見せた。最初の大きな人口流入は1846年から1849年に起きたアイルランドのジャガイモ飢饉によるもので、カトリック系のアイルランド人が多く移り住んだ。1851年には、トロント市内でアイルランド生まれの人口が単独で最も大きな民族グループとなった。
19世紀中頃、トロントでは急速に産業化が進んだ。大規模な下水処理施設が建設され、通りにはガス灯によって常時明かりが灯されるようになる。長距離鉄道が建設され、五大湖北部とトロントを結ぶ路線が1854年に完成した。グランド・トランク鉄道とグレート・ノーザン鉄道は市街地にあった初代ユニオン駅の建物で結ばれた。19世紀後半から20世紀初頭にかけて東ヨーロッパの広い地域からドイツ人やイタリア人、ユダヤ人を中心に新しい民族グループの移民が見られるようになった。この後、続いてすぐに中国人やロシア人、ポーランド人のほか、東ヨーロッパ諸国からの移民が目立った。1920年代、急成長にもかかわらずカナダ国内におけるトロントの人口と経済力は、より歴史あるモントリオールに甘んじて2番目だった。それでも1934年には、トロント証券取引所が国内最大の証券取引所となる。
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